学会等発表 - 佐藤 猛
-
百年戦争の終結と都市―ボルドーの陥落とギュイエンヌの征服をめぐって―
佐藤 猛 [招待有り]
比較都市史研究会第482回例会 (オンライン学会) 2024年11月 - 2024年11月 比較都市史研究会
百年戦争の終結を画すると評価されている1451-1453年の英領都市ボルドー(フランス南西部)の陥落に関して、従来の「降伏」「征服」という視点ではなく、フランス王権とボルドー都市住民のあいだで交わされた王文書から両者の交渉過程を再検討した。王権側は軍事的な圧力をかけながら服属条件の交渉を進めるという戦略を取りつつ、都市側は英軍の救援状況を見ながらフランスへの服属後の権利について嘆願を試みた。ボルドー内での英仏両勢力に対する対応状況について、今後の課題が残った。
-
百年戦争から問い直す“国家”
佐藤 猛 [招待有り]
第55回 北海道高等学校世界史研究大会 (北海道立札幌東商業高校) 2024年08月 - 2024年08月 北海道高等学校世界史研究大会
1337~1453年の百年戦争を題材に、近代の国民国家概念を過去に投影して分析することの問題を示した上で、百年戦争中の休戦関連文書の中で、戦争や休戦の当事者として「王」を超えて「臣民」や「領土」といった表記が出現したことの意味を考察した。
-
トゥール休戦協定と百年戦争の当事者認識
佐藤猛
第4回中世フランス国家史研究会 (明星大学(東京都)) 2024年02月 - 2024年02月 中世フランス国家史研究会
百年戦争(1337~1453年)の当事者が同時代においてどのように認識されたかに関して、終盤に締結されたトゥール休戦協定(1444年)を題材として取り上げた。記録条文、関連の記録・証書、直後に作成された叙述史料において、休戦とともに戦争や平和の当事者がどのように表記されたかを分析し、「王」から「臣民」へという大きな傾向があると同時に、個々の表記に少なからぬ揺れがあることを明らかにした。そこから戦争終息の背景についても見通しを示することができた。
-
合評会 上山益己『中世盛期北フランスの諸侯権力』大阪大学出版会、2021年
佐藤猛 [招待有り]
関西中世史研究会12月例会 2021年12月 - 2021年12月
標記合評会において論点提示を行った(はじめに:本書の背景と全体像、本書の構成と意義、①研究史の徹底的考察、②年代記史料の分析方法、③聖性の視点の導入、④様々な工夫、⑤他類型の史料から、⑥結論について、論評のおわりに)。
-
百年戦争は誰のための戦いだったのか ~和平関連文書における当事者表記~
佐藤 猛 [招待有り]
中世ルネサンス研究所第31回研究会 (オンライン(Zoomミーティング)) 2021年10月 - 2021年10月 中世ルネサンス研究所
百年戦争は誰と誰、どことどこの戦いで、また誰と誰、どことどこが平和を目指したのかについて、同時代人の認識を考察した。具体的には、和平関連文書における戦争及び平和の文言を修飾する語句を分析し、近年のJ.-M. メグランの学説を再検証し、百年戦争の当事者が時代を経るごとに英仏両王を超えて拡散していくことを明らかにした。
-
百年戦争勃発と北フランスにおける都市掌握―ノワイヨンの市壁修理問題から―
佐藤猛 [招待有り]
フランス史研究会 2020年11月 - 2020年11月
百年戦争の勃発が、主戦場となった北フランス社会にいかなる影響を及ぼしたかについて、都市ノワイヨンの市壁紛争を取り上げた。まず、高等法院記録集に伝わる訴訟要録に基づいて、コミューンと司教の主張内容やその争い方を明らかにした。その上で、この紛争の政治・社会史的背景を解明すべく、訴訟で証拠提出された書証や以後の証書類を検討した。むろん両章を通して、市壁修理問題の背景をなす百年戦争の戦況や王権の利害も考察することを通じて、北フランス社会への英仏開戦の影響の一端を明らかにした。
-
14世紀フランスにおける訴訟と嘆願~百年戦争開戦時のノワイヨン城壁をめぐる紛争から~
佐藤猛
第3回中世フランス国家史研究会 (秋田県仙北市) 2020年02月 - 2020年02月 中世フランス国家史研究会
英仏百年戦争(1337~1453)の勃発・開戦が、フランス諸地域における権力関係にいかなる変容を及ぼしたかについて、北仏のコミューン都市ノワイヨンを題材に取り上げた。ノワイヨンでは、開戦とともに始まった国王フィリップ6世による城壁の徴発が、市民・司教・国王役人の積年の争いを再燃させた。この頃、当事者の交渉、国王役人の調停、王本人への働きかけのほかに、国王裁判権が提供する紛争解決の手段として、裁判ととに嘆願も発達し、利用可能であった。本報告では、市民と司教が国王宮廷への嘆願や王本人とのとコンタクトを念頭に置きながら、裁判が争われた様子を明らかにした。
-
フランスの国立及び県立文書館:Archivesの体系的管理
佐藤 猛 [招待有り]
秋田大学史学会近世近代史部会 (秋田大学) 2018年12月 - 2018年12月 秋田大学史学会近世近代史部会
革命期に端を発するフランスの文書館は、国立―県立―市立間の体系性を特徴とする。本報告では、パリの国立文書館とアンジェのメーヌ=エ=ロワール県の文書館を題材として、1.制度全般、2.利用方法、3.歴史、4.電子化を中心とする現状をそれぞれ具体的に紹介・検討することで、フランスの文書館のあり方を探った。日本の県立文書館、英米の国立文書館との比較検討を行なうことが目的である。
-
アンジュー地方から見た百年戦争の終結過程
佐藤 猛
第2回中世フランス国家史研究会 (秋田大学) 2018年11月 - 2018年11月 中世フランス国家史研究会
英仏の歴史に多大な影響を及ぼした百年戦争(1337~1453)は、なぜこれほど長期化したのか。この問題を、なぜなかなか終わらなかったかという角度から考察した。戦場となったフランス諸地方を治めた諸侯が平和交渉に絡むことにより、英仏の妥協点が定まらず、戦争の着地点が見えにくくなったという観点から、1444年トゥールの休戦条約に対するアンジュー地方の関与を検討した。
-
アンジュー通常裁判官関連史料~メーヌ=エ=ロワール県文書館の調査から~
佐藤 猛
第2回中世フランス国家史研究会 (秋田大学) 2018年11月 - 2018年11月 中世フランス国家史研究会
中世後期のアンジュー公領において、巡回裁判集会という基幹的な法廷を開催した通常裁判官(le juge ordinaire)の活動に関しては、判決はごく僅かしか伝来していないが、訴訟当事者の要望によって作成された訴訟要録については、地元の聖俗有力貴族の下、一定量が伝来してきた。その一部を解読することにより、巡回裁判集会の機能の一端を考察した。
-
15世紀中葉フランス王国アンジュー公領における慣習法改正命令
佐藤猛
秋田大学史学会大会 (秋田大学) 2017年09月 - 2017年09月 秋田大学史学会
中世末期フランスに関する諸侯領の再評価、及び近世ヨーロッパに関する「礫岩のような国家」論を受けて、15世紀フランスの諸侯領が王国国制の中でどのような位置を占めたかについて、アンジュー公領における慣習法の編纂・改正という問題を通じて検討した。とりわけ1463年ルネ・ダンジューによるアンジュー慣習法改正にいたるプロセスに関して、書簡および開封書状を分析して、この事業を王国レヴェルにおける司法改革の要請ならびに当時の分散したアンジュー公国所領をいかに効率よ良く統治するかの接点として位置付けた。
-
中世後期アンジュー公領の統治と慣習法編纂事業~15世紀を中心に~
佐藤 猛
中世フランス国家史研究会 (早稲田大学) 2015年01月 - 2015年01月 花房秀一(世話人)
百年戦争下のフランス王国において、王の至上の権力という制約下にありつつも、諸侯領という空間で統治機関が整備されたことが、中世後期から近世にかけての、王国の統治体制にとっていかなる意義を有したのか。従来の学説では、諸侯が王国に範を取って領内の集権化推進したものの、課税・教会支配・パリ高等法院の管轄などの限界が指摘されてきた。しかし、この見方に照らし合わせて、当時のフランス国制を理解するとしたら、諸侯領の「国家的発展」という現象は、たんなる一過性の出来事となり、16世紀以降もその政治的・社会的枠組が残ったことを説明できなし。より複眼的な視点が不可欠であり、諸侯統治機関整備への王関与の具体相、王国および諸侯領間の比較、王領編入後との連関などがひつようである。本報告では、中世後期アンジュー公領の統治機関整備を背景に、ルネ・ダンジュー(位1434~80、兼プロヴァンス伯、シチリア王、ロレーヌ公etc.)の慣習法編纂事業の背景・展開・意義を考察した。
-
中世後期フランス王国の“諸侯国家”論をめぐる諸問題~上田耕造著『ブルボン公とフランス国王─中世後期フランスにおける諸侯と王権』の内容解説と論点提示
佐藤 猛 [招待有り]
関西中世史研究会12月例会 (京都大学) 2014年12月 - 2014年12月 関西中世史研究会
中世後期(14・15世紀)フランスにおける諸侯領(principaute)については、第2次世界大戦期以来、その「国家」的発展についての研究蓄積があり、現在においても、当時の王国各地の諸侯家領について、社会・文化史の成果を踏まえた研究がある。その現状の今後の課題に関して、1)「諸侯国家」の概念使用、2)王・諸侯・地元貴族・住民の関係性、3)史料~パリおよび地元に伝来~、4)外国領、の観点から論点提示をした。発表当日は、フランス史のみならずドイツ、イタリア、イギリスの動向を踏まえ、上記論点にくわえ、①王、諸侯、外国君主間での人々の移動、②慣習法、③諸侯間の横のつながり、④諸侯の在地諸勢力との関係などの観点から、活発な議論が行なわれた。
-
中世後期フランスにおける親王諸侯国の統治―ルネ・ダンジューの慣習法改訂事業―
佐藤 猛 [招待有り]
福島大学人間発達文化学類地域生活文化領域学術講演会 (福島大学) 2014年12月 - 2014年12月 福島大学人間発達文化学類
中世後期フランス王国において、英仏戦争を背景とする王権の地方掌握の一環として生まれた親王諸侯国の統治に関して、アンジュー公国を事例に、同公ルネの慣習法改訂事業の意義を考察することで、この時代の諸侯国が後世の王国地方統治に刻んだ重要な足跡のひとつを解明した。福島大学人間発達文化学類地域生活文化領域学術講演会からの招聘講演である。
-
フランス王国統治における中央と地方~中世後期から近世にかけて~
佐藤猛 [招待有り]
福島大学人間発達文化学類歴史学研究室・西洋史ゼミ研究発表会 (福島大学) 2014年12月 - 2014年12月 福島大学人間発達文化学類歴史学研究室・鍵和田賢准教授(西洋史)
王国諸地域の独自性および多様性に対して、独特の関係を保ちながら進んだ王権の集権化に関して、主要学説の批判的継承のうえに立ち、中世後期に拡充強化された親王諸侯国を事例に、王国統治の特色を考察した。
-
中世後期フランスにおけるアンジュー慣習法の編纂事業―ルネ1世治世を中心に―
佐藤 猛
ヴェストファーレン条約研究会例会 (北海道大学) 2014年11月 - 2014年11月 ヴェストファーレン条約研究会
1463年、シチリア王およびアンジュー公ルネの名のもとに公布された改訂アンジュー慣習法に関して、公布にいたる編纂業務のプロセスを、フランス王、アンジュー公、地元エリートの関係の観点から明らかにした。
-
15世紀フランスにおける親王諸侯国の延命戦略ーアンジュー公ルネ1世の司法改革ー
佐藤 猛 [招待有り]
ヨーロッパ文化総合研究所公開講演会 (東北学院大学) 2014年07月 - 2014年07月 ヨーロッパ文化総合研究所(所長 楠義彦)
15世紀のフランス王国では、百年戦争の終息と並行して王権の再建が進んだ。そのなかで、前世紀以来、王国統治の支柱として拡充されてきた親王諸侯国は、王の集権化とどう向き合い、その領国統治はいかに展開したのか。その具体相を、アンジュー公国におけるルネ・ダンジューの統治改革とりわけ同公領の慣習法改定事業を通じて考察した。
-
『百年戦争期フランス国制史研究―王権・諸侯国・高等法院―』(北海道大学出版会、2012年):概略および主要論点
佐藤 猛 [招待有り]
ヨーロッパ中世史研究会(合評会シリーズ1) (青山学院大学) 2013年06月 - 2013年06月 渡辺節夫
2012年10月公刊の自著(単著)に関する合評会の冒頭において、論点整理を行なった。その後、中世フランス史の専門家3名からのコメントがあり、さらに研究会出席者によって議論が行なわれた。使用した史料の偏りや分析方法、また対象テーマに関する人物レヴェルの考察の不足など、不十分な点の指摘もあったが、中世後期フランス王国史に関する数少ない研究書のひとつとして、また中央(王権)と地方(諸侯領)の関係という近現代フランス社会にも通じる問題に関して、その叙述にある程度成功しているという評価を受けた。
-
1477年ブルゴーニュ高等法院の設立―高等法院の増設過程に関する一考察―
佐藤 猛
2011年度東北史学会大会 (東北大学) 2011年10月 - 2011年10月 東北史学会
15世紀中葉以来、百年戦争終息期のフランスにおいて、なぜ高等法院とよばれる王の最高裁判所が増設されたのかという問題について、本年度取り組んでいるブルゴーニュ高等法院の設立過程の検証のうち、本報告では、主に地元側の動向に焦点をすえ、高等法院設立に対するその反応を検討した。
1477年、王ルイ11世による当地併合の際、地方三部会に集った地元エリート層は、当地ではすでに慣習法が発達し、その法書も編纂されていたこと、ならびにブルゴーニュとパリ間では相当の距離があるため、裁判のためにパリまで行くとなると費用も時間もかかることを理由に、地元への最高裁判所への誘致を王に懇願した。しかし一方で、高等法院設立後においても、その権能と管轄権を確認する国王証書が繰り返して発布されていることから、そうした最高裁としての高等法院は十分に機能していなかった。これらの国王証書を分析すると、ブルゴーニュの紛争当事者のなかには、地域内で紛争ないしそれに関わる裁判を終わらせようとせず、不服があれば、以前と同様にパリにまで赴くような者達が存在したこと、また逆に、すでに高等法院が設置されたなかでのそうした行動が、地方三部会などで問題になっていたことを明らかにした。
最高裁判所である高等法院を特定地域に増やしていくという王の政策の背景には、単純に王権と地域という分析枠組には収まらない事柄が、王権側とともに地元側にもあったことを指摘し、百年戦争後の王国地方統治の独特な性格を展望した。
-
中世後期パリ高等法院判決に現れる嘆願~14世紀中葉を中心に~
佐藤 猛
比較紛争解決制度研究会 (山梨県富士河口湖町) 2011年08月 - 2011年08月 比較紛争解決制度研究会(代表:北野かほる)
共通課題「比較紛争解決制度」(中世における英、仏、独、日の比較)のもと、中世後期のフランスにおいて、紛争解決の一方法として、国王裁判所における通常の訴訟手続が発達する一方で、訴訟手続によらず、王の恩恵に救済を求める嘆願という手段が発達したことに注目し、紛争当事者がそのふたつの手続をどのように用いていたかを考察した。
一般的に裁判と嘆願の関係は、国王裁判所において上訴を通じて数回の判決を経ても、依然として不服を抱く当事者のために、また国王裁判所の最終的判断に瑕疵がある場合の非常救済手段として、王の恩恵を求める嘆願が発達したと考えられてきた。
これに対して、本発表では、1340年前後に生じた北フランスの都市ノワイヨンの市民とその領主ノワイヨン司教のあいだで表面化した、当市の城塞建築をめぐる紛争を取り上げた。ここでは、まず司教が城塞建築権の取得を王への嘆願を通じて実現したことに対して、市民が国王裁判所に訴えてその取消を求め、そこで市民側敗訴の判決が出ると、市民は嘆願によって、王に対して司教への城塞建築権賦与の決定の取消を求めた。つまり、裁判と嘆願は、裁判を尽くしたのちに嘆願が用いられるという関係ではなく、少なくとも両者が発達しはじめた14世紀後半においては、嘆願によって実現した王の決定を裁判によって争うというように、依然としてその序列が曖昧だったことを明らかにした。
当時のノワイヨンをめぐる社会背景の考察など、未検討の課題も多いが、紛争解決における裁判と嘆願の序列に関して、新たな視点を提示した。