科研費(文科省・学振)獲得実績 - 佐藤 猛
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百年戦争の当事者に関する同時代認識とその変容についての研究
基盤研究(C)
研究期間: 2024年04月 - 2028年03月 代表者: 佐藤 猛
英仏の歴史に多大な影響を及ぼした百年戦争は、誰と誰、どことどこの戦いだったのか。通説では、戦争は主従関係にあった二人の王の争いとして始まり、最終的には二つの国家の戦争として終わったとされる。これに対して本研究では、英王と仏王が取り交わした休戦や和平の文書において、戦争の当事者がどのように記されたかを分析する。これを通じて、歴史学上「百年戦争」と呼ばれる出来事を、同時代の人々がどのように捉えていたかの一端を解明することを目的とする。それは、19世紀フランスにおける「国民史」の創出を背景として生まれた「百年戦争」概念に対して、戦乱を生きた人々の認識と数世代に及ぶその変容という視点から再考を迫るものである。
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フランス・アンジュー地方から見た百年戦争終結についての研究
基盤研究(C)
研究期間: 2019年04月 - 2023年04月
英仏の歴史に多大な影響を及ぼした百年戦争(1337~1453)は、なぜこれほど長期化したのか。この問題は従来、英の大陸所領の存在や仏王位継承など、戦争の原因解明を通じて考察されてきた。これに対し、戦争終盤において、なぜ平和条約の締結に至らず戦争状態のみが長引いたのかは問われることなく、終戦のプロセスについては未解明な点が多い。
本研究では、戦場となったフランス諸地方を治めた諸侯達が、平和交渉を含む戦争の展開にどのような利害を持ち、いかに関わったかの検討を通じて、終戦のメカニズムを解明することを目的とする。こうして、百年戦争の終息を英仏王家の二項対立ではなく、フランス諸侯層を加えた多面的な対立構造の観点から捉えることができれば、前半戦と後半戦を別次元の紛争と捉える従来の研究に対して、その再統合を迫るものとなる。 -
中世末期アンジュー地方における巡回裁判集会の組織と機能
基盤研究(C)
研究期間: 2016年04月 - 2020年03月
中世末期(14世紀~16世紀初頭)フランス王国の多元的構造の一翼を担った諸侯国(principautés)の中から、アンジュー地方における巡回裁判集会(assises)の組織と機能を1)国王裁判権との接合、2)実際の訴訟業務、3)裁判集会の担い手の視点から検討することにより、近代国家的統合の始動局面において、王国-諸侯国-地元社会という伝統的な地域編成が司法面においてどのように変容したかを明らかにすることである。その目的は、諸侯裁判権の機能を王権と地元社会の接点として考察し直すことにより、近年の近代国家生成論が捨象している諸侯層の位置づけを解明し、国家的統合の始動に関する歴史像を中央集権化の過程としてではなく、多様な地方的権力体が果す役割の再編成過程として再検討していくことである。
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15・16世紀フランス王権による慣習法書編纂と王国地方統治
基盤研究(C)
研究期間: 2011年04月 - 2015年03月
15・16世紀における王国地方統治の実態解明という目的のもと、王権と諸地域は慣習法書の編纂をめぐってどのような交渉を行い、そこでいかに衝突、妥協したのかを明らかにする。
慣習法書編纂にいたる王権と諸地域の対話の様相を明らかにするには、王権側と地方側の双方に目を配り、次のような問題を検討する必要がある。
1:王権による慣習法成文化の目的(国王裁判所改革の動向、慣習法に関わる諸王令の内容)
2:慣習法書編纂会議の具体相(会議の手続、議事、王権側代表と地方諸身分の利害対立)
3:編纂後の王国地方統治の実態(諸国王裁判所での訴訟、慣習法書改定、慣習法学の発展)
研究期間と史料上の制約ならびに申請者のこれまでの研究成果との関連から、主に1と2に限定して、王権は王国統治上のいかなる目的から地方法慣行の成文化を進め、これに対して、各地の地方権力はどのように反応し、両者の利害のせめぎ合いのなか、慣習法書はいかなる経緯をへて編纂にいたったかという点までを明らかにする。 -
紛争解決類型の比較史―前近代における社会的調整のありかた―
基盤研究(B)
研究期間: 2008年04月 - 2010年03月
近年、法学においては、とくに現行法の領域において、「裁判外紛争解決(ADR)」が注目されている。本研究は、この問題に関連して、前近代の社会では、「裁判による紛争解決」と「裁判でない紛争解決」とはどのような関係にあったのかを焦点として、日本・イングランド・フランス・ドイツに関して、おもに”中世後期”(14・15世紀)を中心とした比較研究であり、フランスを担当した。これに関して、各年計3回の研究合宿を行い、各年とも研究報告を行った。
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15・16世紀フランスにおける地方高等法院の設立―多極的王国統合の特質解明―
若手研究(スタートアップ)
研究期間: 2008年04月 - 2010年03月
本研究は、15・16世紀フランス王国において、いくつもの高等法院(王国の最高裁判所)が設立された過程を検討することを通じ、当時の国王支配の特質を明らかにするものである。時々の王権はパリからの距離、王領編入時における当該地域と王権との関係、そして裁判組織に関する在地諸身分の要望などを考慮して、地方高等法院導入の是非を決定した。こうして王は、各地で長い伝統をもつ裁判慣行を維持、調整しながら、統一的な裁判体系の確立を目指したことを明らかにした
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15・16世紀フランスにおける王国諸地域の再編と国家統合
特別研究員推奨費
研究期間: 2007年04月 - 2008年03月
百年戦争終結後(15世紀後半から16世紀)のフランスにおいて、「諸侯国」がどのように「地方」へと変容したのかを明らかにすることは、かつて”絶対王政の確立”と叙述されたきた中世から近世にかけての国制変容の特質を解明するうえで、不可欠である。本研究は、あくまで”絶対王政”というステレオタイプとなった概念を用いずに、王国諸地域の自立性に立脚する政治体制の特質が、どのように生成・変化したかを解明することにより、百年戦争以来の「国家」を一貫して支えた統合原理の一端を析出するものであった。
その研究方法とは、諸侯国の王領併合という問題に注目し、そこで生じた諸侯国の再編過程を具体的に明らかにすることである。よく知られるように、百年戦争期のフランス王国を彩った諸侯国は、封建法に基づく相続などの結果、15世紀後半から16世紀にかけて次々と王領に併合され、王国の「行政管区」となっていった。かつての研究は、このような諸侯国の併合を国内分立の終結と見なし、ゆえに15世紀後半を「絶対王政」の胎動期と考えてきた。このように評価される15・16世紀において、王権が旧諸侯国の多様な政治構造や文化・法を、王国の政治体制にどのように位置づけたかの問題は、百年戦争以来の国制における連続と変容を見通す上で不可欠である。
その研究内容は、国制の支柱である法制度に注目し、諸侯国の統治機関や法が、王領併合によってどのように変質したかを明らかにすることであった。15世紀後半以降の王権が、旧諸侯国の統治組織を王国の行政機関として継承した点はすでに指摘されている。しかしながら、従来の研究は王権の拡大という点を重視したため、諸侯国の統治機関の権限やそこで運用されてきた法がいかに変容し、旧諸侯領民はこの事態にどのように反応したかは、依然未解明のままである。百年戦争期に整備された諸侯国制度のなかには、王領化の過程で廃止され、後世に継承されなかったものもあった。こうした諸侯国併合の過程を具体的に検証することにより、15世紀後半以降に進行した王国諸地域の再編のあり方を究明してきた。
しかし、研究所属機関の移動のため、1年で途中辞退せざるとえなかった。