科研費(文科省・学振)獲得実績 - HORTON WILLIAM BRADLEY
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インドネシアのマラリア戦争――防疫・医療体制から見える日本占領期の社会
基盤研究(B)
研究期間: 2022年04月 - 2026年03月 代表者: Horton William.B
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日本占領期インドネシアのマラリア戦争―医療・衛生から見えてくる「植民地」社会
基盤研究(B)
研究期間: 2019年04月 - 2023年03月 代表者: ホートン ウィリアム・B
日本占領期インドネシアでは、医療部隊が伝染病や熱帯病の調査を積極的に行った。特に、感染力の強いマラリアに対しては、強い関心を示していた。
本研究は、公的な政策が個人の生活に直結し且つ、生活の実状が政策に反映した医療・衛生に着目し、当時高い死因の伝染病であったマラリアに焦点を絞り、医療・衛生関連文書を精査・分析し、多角的かつ総合的に理解することで、当時の社会状況を描き出すことを目的とする。
史資料調査という人文社会科学研究の定石に加え、理科学分析も導入する学際体制で研究する。本研究は、日本占領期インドネシア社会史に医療・衛生という新領域を創造すると同時に、文理融合の新たな学問分野も創設する。 -
インドネシア現代史の「失われた環」――日本軍政から見えた戦後の社会
基盤研究(B)
研究期間: 2019年04月 - 2023年03月 代表者: 山本まゆみ
歴史研究では、政治体制の変化で時間軸を「分断」する傾向があり、インドネシア近現代史では、第2次世界大戦で歴史の流れを「分断」する研究が通例となっている。だが、人脈や教育、社会活動という点から通観すると、スカルノと日本軍政監部の関係、インドネシア国軍やPETAの軍事教練、そして現在も存続する「隣組」のように、「分断」ではなく「連続性」や「継続性」を見出せる。
本研究は、日本占領期を、独立後のインドネシアの播種期と捉え、占領期の軍の人脈、教育、文化・社会活動が、戦後社会に与えた影響を検証することを目的とする。本研究は、研究の国際貢献を念頭に、占領期研究の多言語史料や研究成果を英語で発表する。 -
冷戦期インドネシアをめぐる大国の見えざる手一西側学術界への批判的考察
基盤研究(C)
研究期間: 2018年04月 - 2021年04月 代表者: 高地薫
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インドネシア現代史の「失われた環」-戦前・戦後をつなぐ日本軍政ネットワーク
基盤研究(B)
研究期間: 2016年04月 - 2020年03月
本研究は、4年に渡る研究期間であり、残りの3年間で成果を出さなければならない。初年度の状況をふまえ、修正した今後の大まかな作業の計画を年度ごとに考えた。2年度目は、資料整理、ホームページ立ち上げ、デジタル化といったインフラを整えることが中心となる。3年度目は、2年度目に整理した史資料に関する情報をもとに、今後の研究に必要な史資料を中心に調査収集する。最終年度は、成果を発表する。多少規模の大きな国際シンポジウムを行う予定であり、海外の協力者も招聘し、2日間にわたる国際シンポジウムを考えている。
上記の内容は、研究推進の大まかな方向性であるが、このような大きな流れの中でも各研究者は、史資料調査および面接聞き取り調査、また現地調査へ赴き、それぞれの研究を推進していく。また、重要度の高い資料に関しては、英語に翻訳し国内外の研究者への情報提供をすることも予定している。資料の翻訳および公開に関しては、それぞれの資料の著作権、プライバシーにかかわることがないか慎重に確認してから行うこととする。
資料収集に関しては、今年度の研究調査の結果、当初の計画より時間がかかることが判明した。文書館によっては、写真撮影、タイプ、コピー、スキャンといったことを認めておらず、一つ一つの文書を手書きで情報収集しなければならない。また、史資料も著作権の関係で、手書きであっても全体を写すことができない場合もある。このため、文書調査には当初の予定の2~3倍の時間はかかるものと考える。文書自体の専門性もあり、かつ文書によっては非公開ということもあり、人に依頼することも困難である。このようなことから、研究の進展が遅れる可能性もあることが懸念される。資料取集に相当の時間がかかる場合は、2年度目に整理する資料情報から、収集資料の順位を決め調査することで対策ができると考えている。
[分担者] 代表者:山本まゆみ -
慰安婦の生きた日本占領期インドネシアの社会研究
基盤研究(B)
研究期間: 2013年04月 - 2017年03月
本プロジェクトは1942-45年日本占領下インドネシアにおいて慰安婦が置かれた社会的文脈を、都市数地域を焦点に探求した。相当量の史資料を収集し、保健医療分野を含めた様々な活動を検討することにより、戦時中の出来事や経験を理解する具体的基礎を提供している。日イに跨る個人的・専門的人脈の重要性が明らかになり、幾つかの新プロジェクトが派生した。
助成期間(2013-17)に、国際シンポジウムを二度、国際ワークショップを一度、九州での地域シンポジウムを一度開催、国際学会パネル発表を三度行なった。個別論文に加え、分担者と海外の研究者の研究成果を論文集としてまとめ、近く出版される予定である。 [代表者]
Group project (Kiban B) grant awarded for research related to the comfort women of urban areas in Indonesia and their social context. Project number 25300035. -
南溟の祖国インドネシアに散った日本人アブドラ・ラフマン・イチキ再考
科研費奨励研究
研究期間: 2010年04月 - 2011年04月
Individual scholar grant awarded for research related to Ichiki Tatsuo and the Dutch war crimes investigations in 1945-1949. Grant no. 22904017.
第2次世界大戦の終戦日は、インドネシアにとって独立戦争という新たな戦いの始まりの日であり、インドネシアで半生を送った熊本県出身の復帰邦人アブドラ・ラフマン・イチキ(市来竜男)にとっては、祖国日本と決別し第2の祖国インドネシアの独立戦争に本格的に身を投じた時期でもあった。その後、市来は1949年1月9日オランダ軍の銃弾に倒れ、東部ジャワ島ダンピット村で42年の人生の幕を閉じた。
当研究の目的は、民間人市来が、なぜ戦後の早い時期からオランダから追跡されなければならなかったのか、なぜインドネシア国軍との連携が図れたのかを解明することであった。調査は、市来および独立に関わった日本人に関する戦前から戦後に至るインドネシア及び和蘭の史・資料を収集し読み解くことが中心となり、オランダ国立公文書館三館所蔵の公文書収集調査、早稲田大学中央図書館で当時の文献資料収集調査を行った。
公文書および当時の文献から、戦前インドネシアに渡った日本人市来が、「異国」で身につけたのは単にインドネシア語という言語だけではなく、人類学的な意味の「文化」をも身につけ、将に身も心も「インドネシア人」アブドラ・ラフマン・イチキとして独立を希求していたことが理解できた。その長けた言語能力を高く評価した日本軍は、インドネシア防衛義勇軍の教科書の翻訳および訓練に係わらせていくが、一方、市来は軍事訓練を通じインドネシアの独立達成への道を見出し、後日インドネシア国軍と変容していく防衛義勇軍と深くかかわったことが理解できた。民間人でありながら、その言語能力のため日本軍上層部とも深く係わり、そのため戦後戦犯裁判に向けオランダが、日本軍部を追及していく中、市来の情報も収集していったようだ。
戦争に関する研究は、その時代に生きた人々をとかく単一的に扱われることが多いが、当研究を通じ、戦前からの邦人移民にとっては、単に国籍のある国が祖国というわけではなく、戦争を契機に身の振り方、ナショナル・アイデンティティーが高まることを詳らかにできたことに意義がある。戦争を通じての邦人移民の多様な身の処し方は、米国の日系邦人の研究では幾分明らかにされてはいるものの、アジアの邦人移民に関しては今後さらなる研究が期待され、そのことは、現在の政治化した言説にも見られる単純な2項率からなる戦争の歴史観を再構することに大いに貢献すると考えられる。 -
命の恩人ティモール人:第二次世界大戦期の東ティモールとオーストラリアの記憶
科研費奨励研究
研究期間: 2007年04月 - 2008年04月
Individual scholar grant awarded for research related to “Australian discourses on Timor and WWII.” Grant no. 19904016.
当研究は、第2次世界大戦中中立国ポルトガルが領有した東ティモールに、電撃侵攻したオーストラリア軍が、完全撤退するまでの1年余(1941年12月17日〜1943年1月)の「戦争」に関するオーストラリアの記憶を検証し、その記憶がどのように形成されたかを解明することを目指している。
調査は、オーストラリアを中心に、元兵士の記憶を引き出すための資料収集として戦争の「舞台」であった東ティモールの現地調査も行った。主な調査は、元兵士(パース、シドニー)また第2次世界大戦期の東ティモール経験者(パース)およびその関係者(シドニー)に行った面接聞き取り調査であった。また、記憶に影響を与えたと考えられるオーストラリアと東ティモールの関係を知る上で、東ティモール研究者Kevin Sherlock(ダーウィン),Paul Cleary(キャンベラ)と面接を行うと伴に、オーストラリアの東ティモール研究の中心C. Darwin UniversityのProf. Alan Powell、 Dr. Steven Farramとも面接した。また、文献資料調査も同時に行い、戦友会の会報(第2/2中隊戦友会、第2/4戦友会)や元兵士の回想録といった戦後の資料を中心に収集した。
これらの調査から、戦友会誌は単に戦争の回想録や近況報告が掲載されているわけではなく東ティモールとオーストラリアの関係についても言及していることが、記憶の変容に大きなかかわりがあるのではと判明した。また、オーストラリア元兵士の多くが未だに現在の東ティモールの状況に興味を示していることは、戦争中クリアード(道案内兼下男)の東ティモール人と個人的な関係を持っていたことにも起因しているのではと考えた。戦友会誌や過去の個人的な関係が、現在に至るまでその地域の興味を維持させ、その記憶にも影響を与えていることが解明されつつある。 -
「帰郷」:日本占領下インドネシアで日本人と結婚したある印欧人女性の終戦
科研費奨励研究
研究期間: 2005年04月 - 2005年04月
Research related to “repatriation” of Dutch-Eurasian women to Japan at the end of the Japanese occupation of Indonesia. Only a small number were able to discover the opportunity and decide to go to devastated Japan. A small number, most of the women returned to Indonesia or went to other countries within a few years.
Project number 17904035.Managed individually, not by a university.